
ポリオ根絶活動で得るべきことは、「人の痛みがわかり、寄り添える心を持つ人間になること」です。
国際ロータリー第2580 地区
2024-25 年度ガバナー
石川 彌八郎

あまりよくないことですが、ろくに書類も読まずに、ハンコを押したり、サインをしたりすることがあります。いわゆる「メクラ判」です。「メクラ」と言う言葉は、不適切な言葉なので、「メクラ判」を改める言葉は何か?を考えました。「メクラ」は差別用語とされているので、「視覚障害者」と改めるべきです。そうなると、「メクラ判」は「視覚障害者的押印行為」となるのかと言うと、それはそれで、ますます問題になります。視覚障害者は理解もせずに、考えもせず判断をしている、という概念がその裏に現れるからです。ここで、物事の本質をとらえることの重要さを感じました。「メクラ」を「視覚障害者」に、つまり、言葉を入れ替えただけで物事の本質が解決すると思ったら大間違いであるということです。
表現を変えただけでは本質は変わりません。表現とは行為です。つまり行為を変えただけでは、本質は変わらない、と言うことです。この思考の延長線でたどり着いたことは「本質を理解せずに行為だけをしていることの虚しさ」です。
簡単にいえば「ただやっているだけ、あるいは、やらされているだけ」の虚しさです。さて、ポリオの話です。ポリオの根絶は重要です。しかし、ポリオ根絶活動の本質は何か。それを理解せずに、あるいは理解しようともせずに赤いシャツを着て動いているだけのロータリアンは、「メクラロータリアン」と言われても仕方がないと言うことです。実は、そういう僕も11月に沖縄で開催した、財団セミナーを経験するまでは「メクラロータリアン」でした。メクラという言葉は良くないので、「本質を理解せずに、あるいは理解しようともせずに、ただやっているだけのロータリアン」と書き改めます。

「本当に根絶できるの?」「一体それまで、いくらかかるの?」「ほかにやることがあるんじゃない?」「何でポリオなの?」そんな感じです。
しかし、11月の財団セミナーで僕は感じました。ポリオ根絶活動の本質を。本気で打ち込めば、得るものは必ずあります。以下、僕が感じたポリオ根絶活動の本質を書きます。ポリオ根絶活動は、根絶が目的ではなく、それは手段であったことに気が付いたのです。ではその目的とはなにか。それは、その活動によって、我々が人間として生きるために重要なことを学ぶこと、人間として成長することなのです。
高校野球とポリオ根絶活動を重ね合わせて考えてみましょう。ポリオ根絶は高校野球で言えば甲子園優勝です。目指す頂点です。では、優勝できなかった高校球児は何も得なかったのでしょうか。そんなことはないでしょう。そのクラブ活動の中で、多くのものを得たはずです。
しかし、11月の財団セミナーで僕は感じました。ポリオ根絶活動の本質を。本気で打ち込めば、得るものは必ずあります。以下、僕が感じたポリオ根絶活動の本質を書きます。ポリオ根絶活動は、根絶が目的ではなく、それは手段であったことに気が付いたのです。ではその目的とはなにか。それは、その活動によって、我々が人間として生きるために重要なことを学ぶこと、人間として成長することなのです。
高校野球とポリオ根絶活動を重ね合わせて考えてみましょう。ポリオ根絶は高校野球で言えば甲子園優勝です。目指す頂点です。では、優勝できなかった高校球児は何も得なかったのでしょうか。そんなことはないでしょう。そのクラブ活動の中で、多くのものを得たはずです。
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